カテゴリー「リフレクソロジストへの道」の9件の記事

OL→リフレクソロジストになるまでの長編日記。

2006年9月16日 (土)

リフレクソロジストへの道⑨(05年8月26日記)

スクール直営サロンで働くための社長・校長チェックに合格後、残りの項目も全て合格し、リフレクソロジーとの出会いから約3年後の2002年11月28日に、Queensway(クイーンズウェイ)にて、念願かなってプロのリフレクソロジストとしてデビューすることが出来ました。
リフレのお仕事は思った以上に体力的にハードでしたが、担当させて頂いたお客様に「気持ちよかったです。」とおっしゃって頂くと、それはそれは本当に嬉しくて、「あぁ、この仕事に就いてよかったなぁ。」と心から思えました。その気持ちは、今でも全く変わりません。

22~24歳の頃の私は、本当に感情の変化が色々あって、その一つに大きな失恋もあり、失恋後になかなか立ち直ることが出来ず、何か夢中になれることをやらなければという思いも、以前に日記で書いた資格取得のきっかけ以外にも、大きなきっかけになったと思います。資格取得のきっかけは一つではなく、色んなタイミングが重なり合い、様々な人たちとの出会いや助言からヒントを頂き、その気持ちが固まっていったという感じです。そして、たまたまTVで見かけたリフレに興味を持ち、実際始めてみたら面白くて、元来飽きっぽい性格なので、正直、自分でもこんなに夢中になれるとは思っていませんでした。
もちろん、私はリフレクソロジーが大好きですが、最近よく思うのは、リフレを通して経験出来ることや出会いがとても楽しくて、こうして人と関わり合っていくことが、私にとってかけがえのないことなんだなぁ、としみじみ思うのです。
なので、「どうしてこのお仕事に就かれたのですか?」という質問への最もシンプルな答えは、「たまたまリフレクソロジーでした。」とお答えするのが、一番妥当かなと思います(こんな長々と日記を書いてきて、結局答えはそれって感じですが・・・)。もし、リフレと出会っていなかったとしても、きっと人と関わり合っていくようなお仕事を選んでいたでしょう。

こうして改めて文章にしてみると、随分遠回りして、ここまで辿り着いたようにも思えます。でも、人生には無駄なことなど一つもなくて、色んな感情や経験を通過してきたからこそ、今こうして自分があるのだなと思うのです。
今となって、20代前半に、自分がどうしたいのか、どう在りたいのかということを真剣に考え、逃げることなく、自分と向き合ってきてよかったなと、本当に思います。
自分と真剣に向き合う中で、たまたま出会ったリフレクソロジーを好きになることが出来て、そのリフレクソロジーをお仕事にすることが出来て、微々たる利益ですが、それでご飯を食べることが出来て、たくさんの人たちとの出会いや様々な経験をすることが出来て・・・。今、本当に加山雄三のように、「幸せだなぁ~。」と実感しています。

20代の私は、自分の未来に本当に必死で、脇目もふらず、全力疾走で過ごしてきたように思います。30代に突入した今、これからは、たまには周りの景色を眺めたり、風を感じながら、ゆっくり散歩するように、肩肘張らずに過ごしていきたいなぁと、心から思います。

まだまだ未熟者の私ですが、この先もずっと、歩幅ゆっくり目のマイペースに、そして感謝の気持ちを忘れずに、私のリフレ道を歩んでいきたいと思います。


                   ~リフレクソロジストへの道・完~

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リフレクソロジストへの道⑧(05年8月20日記)

プロトレ強制終了という予測していなかった事態になってしまい、ダメなものはしょうがないと思う反面、正直この先どうして行こうかと相当困惑していました。そんな私の崖っぷちの状況を把握している社長やインストラクターの先生方により、次回開催のプロトレにすぐに再チャレンジ出来るよう考慮して頂き、「これが本当のラストチャンスだと思い、死ぬ気で頑張りなさい!!」と激を飛ばされ、首の皮1枚でなんとか繋がりました。本当に本当の崖っぷちの状況の私は、もうここまで来ると色んな思いも吹っ切れ、「とにかくもう、やるしかない。」とすごくシンプルな気持ちになっていました。
1度目のプロトレの切羽詰った気持ちより、2度目のプロトレは、状況は更に崖っぷちながら、不思議と気持ちにゆとりを持って挑むことが出来ました。1度目では、インストラクターの先生に「腕に力が入り過ぎ!!」といつも注意されていましたが、2度目では、ガチガチだった気持ちがほんの少しだけ力が抜けた分、頭でイメージしたものがそのまま技術に表れるようになり、トントン拍子に上に上がっていき、途中、多少のつまづきはありましたが、あれよあれよという間に、社長・校長チェックに合格してしまいました。

あんなに苦労してもどうにもならなかった技術が、自分の気持ちの持ちようで手に取るように理解することが出来るようになり、どんなに必死な状況でも、それを楽しむくらいの心のゆとりがないとダメなんだなぁ、と改めて知ることが出来ました。
そして、2度目のプロトレに入る前に1週間くらい時間があったのですが、そのときによくやっていたのがイメトレと分析です。人の足には1度も触れず、イメトレ&分析三昧の日々を送っていました(正確には、プロトレで指を酷使し過ぎてひどい圧迫通になってしまい、安静にしてなきゃいけなかったのですが・・・)。ちゃんと出来ている自分を常にイメージして、何がいけなかったのかをきちんと分析することで、頭の整理が付いて、じゃあこんな風にやってみようと実際やってみると出来ているという感じで、それが楽しくて、2度目のプロトレは相変わらず体力的にはきつかったけど、楽しみながら参加出来ていたように思います。
考えることは大切だけど、その考える内容というか質って、本当に重要なんですね。


→次回へ続く。

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リフレクソロジストへの道⑦(05年8月17日記)

残暑お見舞い申し上げます。昨日の地震は、本当に大きかったですね。皆さん、お怪我などなかったでしょうか?最近、大きな地震が続いていて、ちょっと心配ですね。



では、日記の続きです。

協会直営サロンで働くには、まず、サロンで働いている方と同レベルの技術を身に付けるプロトレーニング(以下、プロトレ)なるもので、社長・校長の足に直接(!!)施術を行う、社長・校長チェックに合格しなければ、お店に配属されることは不可能です。このプロトレーニングは研修期間とは異なり、フリーのー立場で参加し、社長・校長チェックに合格して初めて正式に会社と契約という形を取ります。なので、不合格であれば、有無を言わさず無職の身(中には、働きながら有給等を取って、参加される方もいらっしゃいますが、ほとんどの方は、フリーの立場で参加されます)。私は、既に都内に住居を移した身なので、合格出来なければ、コンクリートジャングル東京で路頭に迷ってしまいます。正に崖っぷちです。生活が掛かっているので、何としてでも合格しなければなりません。
噂には聞いていましたが、業界でも技術、接客には定評のあるスクール直営店Queensway(クイーンズウェイ、以下QW)と同等の技術を、当時期間として2~3週間で身に付けるというこのプロトレ、かなり厳しく、過酷なもので、それまでスクールで楽しくリフレを習った技術とは全く別ものを習得する訳で、そこに慣れない都会暮らしもあり、本当に精神的、体力的にキツイものでした。
自分の気持ちとは裏腹に、全く技術が進歩せず、周りがどんどん理解し、上達していく中で、私は取り残されていく感じがして、リフレを楽しむ余裕もなく、本当に本当に辛い日々でした。
いよいよ、ここまでのレベルまで達しなければ、プロトレは打ち切りという状況まで追い込まれ、結局私は理解不能のままプロトレを終了するという、当初全く予想していなかった結末を迎えてしまいました。どんなに頑張っているつもりでも、全く技術が上達しなかったので、プロトレ終盤は諦めモードに入っていた私は、プロトレ強制終了という事実をすんなり受け止め、「せっかく上京してきたのだから、都会でしか出来ないことをして帰ろう。」とまで、あんな必死な意気込みで上京したにも関わらず、すっかり割り切っていました。
それぐらい、もう辛いことから逃げ出したい気持ちの方が上回っていたんでしょうね。ホント、何かに追い詰められるようなあんな気分は、今まで味わったことのないものでしたから。この先どうすんの、私?


→次回へ続く。

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リフレクソロジストへの道⑥(05年8月13日記)

皆さん、夏休みいかがお過ごしでしょうか?ここの所、あいにくのお天気ですが、比較的過ごしやすい日々が続いてますね。この先まだまだ、残暑が続くとのことなので、体調管理に気を付けて過ごしましょうね。


では、リフレクソロジストになるまでのお話を引き続きしていきたいと思います。

都内スクール直営サロンで勤務するという目標が定まった私は、勇気を出して、上司に退職の意志を伝えました。今までも、退職の度にこういう機会を作ってきましたが、何度経験しても、やっぱりドキドキするものです。
私の突然の申し出に、上司は引き止めようとしましたが、私の石のような決意は揺るぐことなく、なんとか説得し、退職の時期を自分の希望時期より伸ばすという条件で、その年の9月20日付けで退職することが決まりました。
会社の上司はもちろん、先輩や同僚にも、スクールに通っていたことは黙っていたし、仕事は比較的真面目にこなしていたし、一度も「辞めたい」等とは口にしたことがなかったので、私が会社を辞めるという事実に、それはそれは皆さんビックリしていました。それでも、自分の目標に向かっていく私を、皆さん励まし、応援し、快く送り出して下さり、みんなの気持ちが無駄にならないように頑張らなければ、とまた決意を新たにしました。

そして、誰よりも見守り続け、応援してくれたのは、家族です。スクールに通うと決めた当初は、特に母親は、「転職を繰り返しているばかりで、やっと安定した会社に落ち着いたと思ったら、また何か得体の知れないことを始めようとしているなんて!!」と快く思っていなかったようですが、私のいつもとは違う、リフレに真剣に取り組む姿や、毎回練習相手になってくれることで、少しずつ私の気持ちを理解していってくれました。上京を決めたときも、「何も今から上京なんかしなくても。」と女の幸せは結婚よと言わんばかりに、最初は反対していましたが、一度言い出したら頑として聞かない、頑固な私の性格を知った上で諦めたようで、最終的には、「悔いのないように頑張ってきなさい。」と応援してくれました。

こうして、家族、友人、一緒に働いてきた上司、先輩、同僚たちに温かく見守られ、スクール卒業から半年後の2002年10月、リフレを仕事にするべく、都会の土を踏んだのでした。



→次回へ続く。

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リフレクソロジストへの道⑤(05年8月10日記)

前回までの日記で、リフレクソロジーとの出会い~スクール入学~資格取得という流れで、お話ししてきました。
今回は話を少しさかのぼり、スクール在学中に、今後の進路をどうするか決め兼ねていた頃のお話をしたいと思います。


スクール入学の動機は皆さん様々です。スクール直営店で働くために、独立開業するために、ご家族のために、今現在のお仕事に+αとして役立てるために、ボランティアで行うために、etc・・・。私も当初は、卒業後はリフレクソロジーを仕事としてやっていきたいと考えていましたが、当時、栃木にはスクール直営店はなく(今現在もありませんが)、というか、英国式リフレクソロジーのサロン自体、ほぼ存在していませんでした。仕事としてやっていきたくても、その受け皿が栃木にはない状態で、自分がこの先どういう形でリフレクソロジーを続けていくか、常に考えあぐねていました。この頃は、自分が独立開業して、小さいながらもサロンを持つなんて、もっともっと先の話だと思っていたし、開業するにしても、やはり1度はサロンで経験を積んだ方が賢明だと、考えていました。
もちろん、栃木を出て、都内近郊に出ればサロンはたくさんあります。でも、大好きな地元栃木でリフレを続けることにこだわっていた私は、仕事としてではなくても、ボランティアや家族、友人のために続けていくという考えに、徐々にシフトされていきました。

卒業間近になり、クラスメイト達の進路も段々明確になっていく中、私自身、リフレの楽しさを日に日に実感するようになり、「せっかくここまで頑張ったのだから、やっぱり仕事としてリフレを続けたい!!」という気持ちがムクムクと強く湧き上がってきました。それでもまだ、栃木でリフレを続けることにこだわっていた栃木大好きっ子の私に、私の27回目の誕生日前夜に前祝いをしてくれていた地元の友人S氏が、「どうせやるなら、都心に出てやった方が絶対いいよ。それから栃木に戻って、やったっていいじゃない。身に付くものが、全然違うと思うよ。」と、私の背中をポンと押してくれました。あんなに栃木でリフレを続けることにこだわっていた私ですが、酒に酔った友人の無責任(?)且つ、愛のある一言に「あ~、そうか。都心に修行に出て、栃木に戻ってくればいいのか。」と妙に納得してしまい、「じゃあ、もう思い切って栃木を出てしまえ!!」と27歳にして初の上京を、3月の寒空の下、居酒屋の駐車場で熱く決意したのでした。



→次回へ続く。

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リフレクソロジストへの道④(05年8月8日記)

2001年10月、期待に胸を膨らませ、リフレクソロジースクールの初日を迎えました。新しいことを始めるときって、本当にワクワクしますよね!!

幼少の頃から、比較的、適度に物事を器用にこなしてきた私は(次女故に、要領がいいって言うんでしょうか)、肩揉み好きということも手伝って、正直、最初から結構そこそこ上手にやれるんじゃないかと、ちょっと、いや、かなり高をくくっていました。所が、インストラクターの先生方の技術のデモンストレーションが終わり、実際、自分がやってみると、なんだかちっとも上手く指が動かず、気持ちよいとは程遠い、へっぽこリフレクソロジーでした・・・。頭でイメージしていることと、身体が全く連動せずに、初回にして、脳天にパンチを喰らわされたようなへこみ具合で、家路に着きました。そりゃあ、最初からそんなに上手に出来るなら、スクールなんて行く必要ない訳ですから、今となれば、最初から自信満々だった自分が恥ずかしいです・・・。
実技の授業形態は、生徒同士二人一組みになり、施術する側、受ける側で、お互いフィードバックしながら練習を行うというものでした。その日によってペアが変わるので、色んな方のリフレを受ける度に、「もしかして、自分が一番下手くそなんじゃないの?」と不安になる一方で、スクールに行く度にへこんで帰宅するというパターンを繰り返していました。正直、この頃はリフレを心から楽しめず(下手くそ故に)、自分自身に「リフレは楽しいんだ!」と言い聞かせながらやっていたように思います。
でも、こちらは高い授業料と交通費、時間、労力をかけて、栃木から銀座のスクールまで通っている訳です。もう、落ち込んだり、へこんでいる場合じゃありません。そして、元来、負けず嫌いの私は、「最初は下手で当然。でも、やるからには上手になりたい!!」と開き直り、それからは、仲良くなったクラスメイトと授業後の自習をするようになり、更に、自宅で週3~4日、家族相手に練習するという日々を送りました。そうすると、やはり段々とコツを掴めてくるようになり、指もだいぶスムーズに動かせるようになってきて、リフレすることが本当に楽しくなってきました。
私は自称、褒めて伸びるタイプなので、家族に練習相手になってもらう度に、「だいぶ、上手になったね。」と言ってもらったり、インストラクターの先生に「ちゃんとしっかり、刺激が入ってますねぇ~。」なんて声掛けして頂くと、俄然、やる気が湧いてきて、益々張り切って練習に励んでいました。そう、とっても単純なんです。

入学当初は、とんでもなくへっぽこリフレでしたが、練習の成果とインストラクターの先生方の丁寧なご指導のおかげで、卒業する頃には、なんとかリフレクソロジーの形になっていました(←ように思います・・・)。
そして、2002年4月、無事、卒業試験もクリアーし、涙々の資格取得の認定式を迎えることが出来ました。



→次回へ続く。

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リフレクソロジストへの道③(05年8月7日記)

日記の更新がなかなか出来ないまま、気が付けば月が変わり、しかも8月に入って1週間が過ぎてしまいました。ここ最近、慌ただしく身の周りの変化があり、でも、充実した日々を送っていました。と、日記の更新が出来ない私的な言い訳をしてみました。

しかし、毎日毎日、暑いですね。夏真っ盛りなので、仕方ないことなのですが・・・。日光(東照宮付近)は涼しいと思われがちですが、やっぱり暑いです。でも、さすがに奥日光の方は涼しいようですよ。もう、トンボがたくさん飛んでいるとのことです。なんだか、季節感がよく分からないですね。



さて、今回も引き続き、リフレクソロジストになるまでの道のりをお話します。皆さん、お気付きでしょうか?まだ一度も「リフレクソロジー」というキーワードが出てきていないことに。今日は、リフレクソロジーとの出会いをお話したいと思います。


3度目の転職と同時期に、TVで英国式リフレクソロジーを取り上げている番組をたまたま目にしました。英国式リフレのパイオニア、「マキ・フジタ ヒーリングスール」での授業内容などが放映されていて、その当時は、英国式リフレの認知度は今よりも低く、足裏の刺激=足ツボ=痛いというイメージが強かったので、痛気持ちいい=癒されるというイメージの英国式リフレが、なんだかとっても気持ちよさそうだなと興味を持ちました。
「都会では面白そうなことが学べるんだなぁ。」とぼんやり頭の片隅で考えながら過ごすこと数日後、新聞の朝刊の片隅に、正に先日TVで見た「マキ・フジタ ヒーリングスクール」の学校案内の新聞広告が載っていました。即座にその記事を切り抜き、手帳に大切に保管し、すぐに資料請求してみようと思ったのですが・・・、実際、資料請求したのはまた更にその1年後。なかなか資料請求出来ず仕舞いのまま、淡々と日々を過ごしていると、約1年後、朝刊に学校案内の広告を再び見つけました。「これはもう、資料請求しなさいということなんだわ・・・!」天からの声を聞いた私は、英国式リフレとの出会いから1年後に、やっと資料請求してみました。
それから数日後、自宅に届いた資料に目を通すと、スクール自体はしっかりしているようだし、スクール卒業後も皆さん各方面でイキイキ活動されているようで、安心感を覚えました。そして、何よりも、自らの手で相手を癒すというリフレクソロジーがとっても楽しそうだなと思いました。

元々、家族や友人の肩揉みをすることやされることが好きだったことや、その頃、相手の反応が自分にダイレクトに返ってくるようなやりがいのある仕事をしてみたいという気持ちが徐々に膨らんでいたので、英国式リフレを学んでみたいと、日に日に思うようになっていきました。そして、何よりも私がイギリス好きなので、「英国式」という響きにノックアウトされてしまいました。

しかし、最寄のスクール所在地は、東京・銀座。正直、平日は栃木でOLをしながら、休日を使い、半年間週1回、銀座まで通い続ける体力・気力共に不安はありましたが、もうそんなことは言っていられません。自分にプレッシャーを掛けた方が、きっと真剣に学ぶことが出来ると言い聞かせ、リフレとの出会いから約2年後、資金も貯まった26歳の秋に、念願叶ってスクールに通い始めました。



→次回へ続く。

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リフレクソロジストへの道②(05年7月29日記)

前回に引き続き、私が歩んだリフレクソロジストへの道をお話します。


当時24歳の私が、20代の自分への証として資格を取ることを決意したことは、前回の日記でお話しました。それに加えて、私に資格取得への決意をさせたきっかけがもう一つあります。それは、勤めていた会社の女性に対する雇用の姿勢です。

私が正社員として雇用されていた二つの会社には、産休制度がありませんでした。女性=結婚・出産=退職という暗黙の構図があり、産後の女性が今まで通りに正社員として働くことが出来る環境は、全く整っていませんでした。では、果たして、自分に結婚も出産もタイミングが訪れなかったら・・・?結婚という二文字が全く現実味を帯びてこない私は、女性が末永く働くような環境が整っていない中で、このまま独身かもしれない自分のことを会社が一生面倒見てくれるなんて到底あり得ない、と思い始めました(ちなみに、どちらの会社も組合などはありませんでした)。最近では、女性社員の末永い雇用に積極的な企業もたくさん増えてきています。しかし、いくら世の中の風潮で男女平等とか言われていても、現実問題、女性が独りで生きていくには、結構厳しい世の中なのです(特に、田舎は・・・)。

「自分を守ることが出来るのは、自分しかいない。そのためには、手に職を付けて、独りで生きていかなければならないときのために、今から準備をしておかなければ!!」

↑当時24歳の私の決意表明ですが、今思えば、24歳にして、だいぶ現実的で、なんだか切迫感もあり、ちょっと頭コチコチ感がありますね。とにかく、この頃は、自分の将来に対してもの凄く不安を抱いていて、「このまま結婚することはないかもしれない・・・、じゃあ、どうやって生きて行こう。」、といことを果てしなく考えていたように思います。ホント、なんだかとっても必死でした。



更に、次回へ続く・・・。

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リフレクソロジストへの道①(05年7月28日記)

台風が過ぎ去り、昨日は本当に暑い1日でしたね。やっと、夏らしい暑さが戻ってきました。こういった暑い日は、熱中症などにかからぬよう、こまめにしっかり水分補給しましょう!!

さて、本日の日記のテーマです。「どうして、このお仕事に就かれたのですか?」←これは今までお客様から尋ねられた、ランキング1位のご質問です。
今回は、私がリフレクソロジストになるまでの経緯を、何回かに分けてお話したいと思います。(結構、長編大作になりそうな予感です・・・。ご興味ある方は、懲りずに読んでみて下さいませ~。)


10代後半~20代前半までの私は、自分が何をしたいのか全く分からず、なんとなくそれなりに毎日を楽しく過ごしてはいましたが、精神的に満たされない日々を送っていました。短大卒業後、就職してからは、何がしたいか分からないけれど、やりたいことはこれではないという思いから、何度か転職も繰り返しました。俗に言う、自分探しの旅ってやつを放浪してました。
そんな、やりたいことが見つからない悶々とした日々を送る中、勤めていた旅行代理店を退職した頃、やはり同時期に退職した5歳年上の先輩が、「30歳になって、何の資格も持っていないのは虚しいよ。20代の10年間、頑張って仕事してきたけど、その証が何もないのは虚しいこと。何か、資格を取っておけば良かった。まだ、葉子ちゃんは若いんだから、これからいくらだって可能性あるんだから、色々やってみた方がいいよ!!」と、台詞は多少デフォルメされているかもしれませんが、そんなことを切実に語ってくれました。先輩が話してくれたことは、当時24歳の私には、かなり重みがありました。
それ以来、本当に自分が何をしたいのかを真剣に考えるのと同時に、20代の自分への証として、何か一生出来るような資格を取ってみよう、と固く決意しました。

しかし、現実問題、資格取得にはある程度の費用も時間もかかります。元来、宵越しの金は持たない主義の男前な私は、まず、比較的、給与・休日が安定した会社に正社員として転職することを決めました。そこで、ある程度蓄えを作り、OLをしながら、土日を利用して、資格取得のためのスクールに通うことを目標として定めました。更に、性格上、期限を切らないとダラダラ過ごしてしまうので、3年間で何とか形にしようと決意しました。
目標が定まった私は、職安通いの末、自分の希望を満たす会社と運良く巡り会い、自分の将来に必死な私は、面接時、その必死な気持ちを会社に対する熱意にすり替え、これまた運良く面接もクリアーし、希望通りの会社に転職することが出来ました。なので、こんな目論見を持って面接していたことを、前職の上司は知る由もなく、今思えば、本当に申し訳ないことしたなぁと思います。ですが、当時、私の人生にとって、そうすることが最善の選択だったので、どうか許してやって下さいね。


次回へ続く・・・。

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