カテゴリー「一人店主への道」の12件の記事

サロンスタッフ→一人店主になるまでの長編日記(前編)。

2009年1月16日 (金)

完結する。

 とっても珍しく、連日投稿です。こんな日も、あるんです。 

 

 さて、今日の日記の内容は昨日の続きのようなモノ。

今年の目標の一つには『中途半端になっているコトを完結させる』、という目標もございます。

その“中途半端になってるコト”の中には、このブログもあります。

実は、きちんと書き終えてない、中途半端にしてしまっている記事が2件ほどあります(汗)

 

 一つは、布ナプキンの話。(→記事はコチラ。)

布ナプキンについてはその後も使用を続けてまして、布ナプ歴も1年を過ぎました。

使用感についてや、使用後の生理時の変化など、また日を改めて、ちゃんとご報告したいと思います。(ホントに書きます。)

しばし、待て!

 

 そして、もう一つは、一人店主への道のりの話。(→記事はコチラ。)

この記事、一体何年寝かせてるんでしょ(汗)

今読むと、なんだか内容も恥ずかしいし(汗恥)

 

 この空白の時間の間は、自分の中で、一人店主としての自覚の足りなさをひしひしと感じたりして過ごしてました(→記事はコチラ。)

そんな私が『一人店主への道』なんてタイトルで日記を書くなんて、どうにもおこがましく感じられ・・・、やっぱりどうしても続きを書くコトが出来ませんでした。

じゃあ、今このタイミングで書くってコトは、一人店主としての自覚をしっかりと抱くコトが出来たからなのか??と聞かれると、それは正直、わかりません。

足りない部分は、まだまだいっぱいですから。

 

 でも、一つだけわかったコト。

それは、私が人として成長していく過程の中で、“フリーのセラピスト=一人店主”として活動する必要があったのだろう、というコトです。

フリーになったからこそ、今まで経験出来なかったコトもたくさん経験させて頂いたし、たくさんの方とも出逢えました。

その中で、学んできたコトは計り知れず・・・。

笑ったり、泣いたり、喜んだり、苦しんだり。

そんな感じで、ちょっとずつ、ちょっとずつ、成長してきたのだと思っています。

 

 足りない部分はいっぱいあります。

時には間違えるコトもあります。(ゴメンなさい。)

でも、そんな私だからこそ、伝えられるコトもあるんじゃないかな、と思います。

 

 そもそも、この記事を書こうと思ったのも、mixiをやっていたときに、「どうやって、旅館や産院に営業したのですか?」という質問を頂くコトが多かったから。

その都度お返事させて頂くのもちょっと大変になってきていたので、どうせならブログで書いちゃえ!と思いました(笑)

それに、サロンを持つコトだけが開業の術ではないし、今こうして実際に委託開業&出張開業している私が経験したコトを書くコトで、これから開業を考えている方の何かヒントになれば、とも思いました。

 

 それと、こんな経緯もありました。

私自身が開業する前に、同じように旅館で委託開業されている、同じスクールの卒業生に、営業方法や備品の管理などについての質問をしたところ、とっても冷たい(と、私には感じました。)返事が返ってきました。

なんだか、とっても、切ない気分になったのを今でも覚えています(苦笑)

まぁ、気持ちもわからないコトもないんですけどね。

あんまり、手の内、教えたくないですよね、きっと。

 

 もちろん、私は、開業コンサルタントでもアドバイザーでもありません。

個人的に「こうするとよい!こうするべき!」などとは、とてもとても言える立場ではございません!

でも、自分の経験くらいなら、語るコトは出来ます。

何というか、こうやって、自分の経験を皆さんとシェアするコトも自分の役割なんじゃないかな?とも思っているので・・・。

私の文章や言葉から、何か感じて頂ければ幸いです。

 

 書き始めから随分と日が経ってしまいましたので、タイトルも『続・一人店主への道』にリニューアルして書いていこうと思います。

続編は、いろんな意味でもっとライトに書いていきます(笑)

 

 まぁ、私のコトですから、いつも通りのボチボチ更新になると思います。

というワケで・・・、再び、しばし、待て!

 

 ♪本日のBGM・・・斉藤和義/進め なまけもの(アルバム「ジレンマ」より)

 

 ☆追記☆

『続・一人店主への道』は→コチラからご覧くださいませ。

| | コメント (0)
|

2007年1月11日 (木)

一人店主への道(花の下北沢編9)

 2003年11月、憧れの地・本郷に新規オープンしたばかりのリフレサロン「Repose」に、私は足を踏み入れた。

「Repose」は、奥行きのある店内で、1席1席の間隔にゆとりを持たせているため、全体的にゆったりとしているという印象であった。また、以前の路面店とは異なり、ビルの2階で営業しているせいか、人の往来が気にならず、とても落ち着けた。

普段、慌しい中で施術している私にとって、この静寂は、とてつもなく心地よかった。

 

 その日の来店の目的は、お客様として、サロンの雰囲気を体感したかったのと同時に、オーナーから直接話を聞くためだった。

実はこの日まで、何度か、以前の本郷店にお客様として足を運んでいたにも関わらず、一度もオーナーと顔を合わせるコトはなかったのだ。

初めてお会いするオーナーは、キラキラした瞳が印象的な女性。

このサロンを立ち上げるまでのいろんな背景を伺い、何と言ったらよいか、とにかく一言「この人、スゴイ!」と思った。しっかりとした意思や信念がなければ、やっぱりここまでやれないよな、と思った。その思いは、瞳が語っていると感じた。

 

 どういう形になるかはわからないけれど、私もいつかは栃木でリフレをしたい、と思う身。

今のまま、たくさんの疑問を抱えながら働き続けるよりも、この新天地で、オーナーの下で、少しでも、その日のための勉強をさせて頂きたい、そんな気持ちが私の胸にググッと押し寄せた。

 

 「ここで働きたい!!」

私は、そう強く思った。そして、「Repose」に足を踏み入れたその日、その意思をオーナーに伝えた。

 

 「Reposeで働く!」と心に決めた私は、数日後、意を決して、下北沢のサロンの上司に辞める意思を伝えた。(と言っても、以前に一度だけ、社内でのゴタゴタがあった際に辞めたい意思を既に伝えていて、保留になっていたのだけれど。)

何度も考え直すように説得されたけれど、私の鋼の心は、ビクリとも動かなかった。

 

 以前、上司に一度目の退職の意思を伝えた際に、私はこんなコトを話していた。

「いつか栃木でリフレをやりたい。でも、サロン経営はそんなに甘いモノじゃない。だから、どんな形で自分がリフレを続けていけばよいのか、正直迷っている。」と。

そして、そんな私の気持ちを知っている上司は、こんなコトを話し始めた。

 

 「栃木に戻ってリフレするにも、このままココで働けば、たくさんの足に触れられるし、関口さんは地元が日光なんだから、例えば、旅館内で委託開業って道もあるじゃない?そのためにも、今ここで辞めるのは、もったいない・・・云々かんぬん。。。」

 

 この後の上司の話は、正直、もう上の空。

「そうか!委託開業という道もあったんだ!!それなら、私一人でも出来るかもしれない!!」

上司に説得される中、私の頭の中では、日光の旅館でリフレする自分を妄想していた。

開業=サロン経営しか、頭になかった私。何で、今まで、委託開業という方法に気付かなかったんだろう!?ナイスアドバイス!ビバ上司!!

私は・・・、にやけ笑いを堪えるのに必死であった。(不謹慎な部下で、ホント、スミマセン!!)

 

 そんな訳で、思わぬ所で、今後の私の一人店主への方向性が決まってしまった。

 

 その後、何度かの話し合いの末、2004年の1月11日付けで、下北沢店を退職するコトが決まった。

下北沢店のお客様、スタッフ、そして、下北沢で仲良くなった商店街の皆さんと別れるのは、本当に後ろ髪引かれる思いではあったけれど、きっとご縁があれば、また必ず会えると信じ、下北沢の地を後にした。

 

 そして、私はまた新しい一歩を踏み出した。遂に、憧れの本郷という土地で・・・。

 

 →次回へ続く。

 

 ♪本日のBGM・・・Polaris「星と願うなら」(アルバム「Family」)

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2006年12月 3日 (日)

一人店主への道(花の下北沢編8)

 私は、これから自分がどういう形でリフレを続けていけばよいのか、差し出されたライフカードを引けずにいた。

リフレを続けていくために、ある程度、安定した収入も確保しなければ。そのために自分が出来るコトを考えてみたが、納得出来るような解決策は見つからなかった。

 

 と言うよりも、この頃はサロンの繁忙期でもあり、その当時、全国的に売上がものすごくイイ!とは言えない、下北沢店では、ギリギリの人数でスタッフを回していた。そのため、毎日が本当に忙しく、ゆっくり考えるような時間も心の余裕もなかったのだ。

それに加えて、成増⇔下北沢間の電車3本乗り継ぎの通勤距離も、田舎育ちの私には結構堪えていて、毎日、ヘトヘトになって家路に着いた。気が付けば、いつの間にか寝過ごしてしまい、お隣の和光駅で飛び上がって起き上がる、なんてコトも・・・。

 

 この頃の私の余裕のなさと言うと・・・。

その時期に私は、サロンに配属された新人スタッフの教育係に抜擢された。自分だって相当余裕がないのに、正直、教育係なんて荷が重いな、と思った。

そして、私はなんと、ある日、その新人スタッフを泣かせてしまった。自分の思うように動いてくれない彼女に苛立ちを募らせ、クドクドと説教を垂れて、遂には・・・、泣かせてしまった。

 

 自分が教育係になった暁には、吉祥寺店でお世話になった先輩のように親身に接しよう、と思っていたのに・・・(一人店主への道~花の吉祥寺編~参照)。

 

 それくらい余裕のない、ギリギリの状態で、毎日を過ごした。

 

 でも、それはあくまでも、雇われている、こちら側の都合。ご来店になるお客様には、全く何の関係もないコトである。だから、お客様に対しては今まで通り、気持ちよく帰って頂けるよう、精一杯向き合うよう努めた。

そして何よりも、お客様の足に触れているときが、私にとっての一番の心安らぐときでもあった。

 

 唯一変わったコトは、積極的なご延長のお声掛けをやめたコト。

延長したいかどうかは、お客様が決めるコトだと思ったし、また次もこのお店に来たいなぁ~、そんな風に思って頂ける、心地よい接客・施術を心掛けようと、思うようになった。

自分が本当にしたいと思うコト=自分の心の声に従おう、そう誓った。

 

 それでいい、と思った。目先の売上ばかりに囚われず、末永く、お客様が愛して下さるようなサロンに、セラピストになれたらステキだな、と思った。

 

 季節もいつしか夏から秋に移り変わり、これから先どうして行くか、はっきりと決められずにいる私に、仲良しのスタッフから、ライフカード、と言うよりは、切り札を差し出された。

「本郷に新しくオープンするサロンで、働いてみる気はない?」と。

 

 クローズしてしまった本郷店のスタッフの何人かで、新しいサロンを立ち上げるのだが、人手が足りないのでスタッフを探している、と言うのだ。

実は、オーナーと仲良しのスタッフが同期で、どうやら声を掛けられていたようだ。そして、私が以前から「本郷店はいいサロンだよぉ~!」と、仲良しのスタッフによく話していたし、今回の会社側との一件で、「もう、サロンを辞めてもいい。」とも話していたので、私のコトを思い出し、声を掛けてくれたのだ。

 

 世の中に、こんなコトってあるんだ・・・!!憧れの地、本郷で働けるかもしれない!!

私の胸は高鳴った。

 

 すぐにでも、「ハイ、行きます!お願いします!」と言いたい所だけど、やっぱり、そういう訳にはいかないのが現実。

実際に、生活出来るくらいの収入が見込めるのかどうか、その前に、今いる下北沢のサロンを辞めなければいけない。

 

 ベクトルは、かなりの勢いで本郷のサロンに傾いてはいたけれど、一旦、じっくり考えようと思いとどまった。まずは、新しく出来る本郷のサロンに実際に足を運んでみて、オーナーとよく話し合ってみるコトが先決だと思った。

 

 そして、その年の11月、私はオープンしたばかりの本郷のサロン「Repose」に、足を踏み入れるのであった。

 

 →次回へ続く。

 

 ~追記~

 ちなみに、本文中で出てきた、(人生初)泣かせてしまった後輩とは、今ではすっかり仲良しです。今となっては、「あのとき、あんなコトもあったよねぇ~。」と笑って話せるくらいにまでなりました。

今年の2月には、元同僚と共に、鶴亀さんにも遊びに来てくれました。ホントに、カワイイ後輩です!(過去日記「チーム下北御一行様!!」参照)

そして・・・、今でも、あのときの出来事は、本当に申し訳なかったと思っています。「私、随分ちっちゃかったよな。」って。

そんな私を許してくれて、ありがとね!カワイイ後輩よ♪

 

 ♪本日のBGM・・・カジ ヒデキ「SIESTA」(アルバム「MINI SKIRT」より)

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2006年11月22日 (水)

一人店主への道(花の下北沢編7)

 2003年夏。自分が進みたい方向が少しずつ見え始めて来た頃、私の身に、これからの生活に関わってくるような不測の事態が起きた。

 

 私が入社した頃は、会社にとってのちょうど過渡期であり、会社の内部事情も目まぐるしく変わっていた。そして、その一環として、「雇用条件の改訂」という突然の取り決めが発表になった。

それはあくまでも、もっとスタッフが働きやすい環境に、というコトを考慮しての取り決めだったのだが、実際に働く側の身としては、雇用条件が変わるコトにより、これからの生活が不安定なモノになる、というコトは容易に推測出来た。

私は栃木の実家を離れ、コンクリートジャングル東京で自活する身。月々入ってくるモノが変動すれば、家賃払えなくなる可能性だって出てくる。正に、「どうすんの!?オレ??」と、ライフカードを付き付けられたような心境。

 

 好きなコトを仕事にしてます!と言えば、それはそれは聞こえがいいかもしれないが、生活出来ないのであれば、どうしようもない。キレイごとではないのである。アロマビタミンズ+の安田さんの名言、“生活あってのセラピスト”なのである。

 

 生活のために、サロンでの勤務日数を減らし、他の仕事と掛け持ちするか、もしくは、サロンを辞めるか・・・。今後の私に付き付けられた、二つのカード(選択肢)。

 

 他店への異動、という選択肢もない訳ではなかったのだけれど、それはもう、考えられなかった。会社との方向性の違いがはっきりと認識された今、雰囲気もやり方もガラッと変わる他店で、一から頑張ろうというモチベーションは、私にはもうなかった。

全く別のリフレサロンで働く、というコトも考えにくかった。雇用条件に関しては、今以上に厳しくなるコトも予想がついたので・・・。

 

 この頃、私の会社に対しての感情は、失望と不信感しかなかった。腹立たしい気持ちしかなかった。あんなに、入りたくて入りたくて、仕方なかった会社だったのに・・・。

 

 そして、雇用条件の改定と共に、更に、私を落胆させる取り決めが発表になった。

それは、本郷店のクローズ(閉店)である。私が働きたい!と心から思った、あの本郷店である。どうやら、会社的には採算が取れなかった、という理由らしい。

「あんなに素晴らしい雰囲気のサロンが、クローズ・・・!?本郷店に通うお客様は?スタッフは?一体、どうなるんだろう・・・。」

そんな思いがグルグルと頭を巡った。本郷店がなくなるという事実は、ものすごくショックだった。私でさえそんな状態だったのだから、本郷店で働くスタッフの方たちは、もっともっと、グルグルグルグル巡る渦の中、だったのだろう。

 

 正直、この頃の私は、もうリフレの仕事を辞めてもいい、と投げやりな気分にもなっていた。

「生活出来ないのなら、もうしょうがないじゃない。会社との方向性も違っている訳だし。」

そんな愚痴を、周りのスタッフや地元の友人にも漏らしていた。そして、地元の元同僚の友人に電話でグダグダと愚痴をこぼした所、私は彼に叱責されてしまった。

「いつか栃木に戻ってリフレやりたいって言って、上京したんでしょ?それで簡単に諦めるの?」と。

そのときの私は、彼の言葉を素直に受け止めるコトが出来なかった。やっぱり、生活するコトが出来なければ意味がない、と思っていたから。

でも、ちょっと冷静になってみたら、彼が言っているコトが正論だというコトは明らかだった。そう、私は、こんなトコで腐ってる場合じゃない!このままじゃ、栃木に戻れない!

 (※過去日記「新しい門出に向けて」参照)

 

 このままじゃ、栃木には戻れないけど、でも、どうやって生活していこう・・・。やっぱり、掛け持ちしかないのかな。リフレの仕事を辞める、というカード(選択肢)はなくなったけど、相変わらず、ライフカードを引けずにいた。問題は解決された訳ではないのだ。

そして、一人思い悩む私に、仲良しの同僚スタッフから、もう一枚のカード(選択肢)を差し出されるのであった。救世主の登場、である。

 

 →次回へつづく。

 

 (追記)

 ココで、ちょっと補足しておきますが、後々、「雇用条件の改定」の取り決めは見直され、現行通りの条件のまま、スタッフの収入がきちんと確保されるコトが約束され、事無きを得ました。でも、私にとっては、もう、時既に遅し、だったのですけれどね。

私の主観で書かれた、3年も前のお話だというコトも踏まえて、どうかお読み下さいませ。

 

 ♪本日のBGM・・・クラムボン「That’s The Spirit」(アルバム「3peace」より)

| | コメント (5) | トラックバック (1)
|

2006年11月15日 (水)

一人店主への道(花の下北沢編6)

 「暖かい季節になると、自然とお客様も増えるから。」

先輩方から、厳しい冬の時期に何度も言い聞かされた言葉通り、季節の移ろいと共に、下北沢店も忙しさを徐々に取り戻しつつあった。

私に受付業務のイロハを教えて下さった先輩も出産のためにサロンを去り、その頃には、あんなに嫌がっていた受付業務も自然と楽しんでこなせるようになっていた。もちろん相変わらず、受付業務よりも施術する方が好きではあったけれど。まぁ、不思議なモンである。

 

 「受付スタッフになるメリットは、何一つない」と頑なに思っていた私だけれど、受付に立つコトで、施術するよりも多くのお客様と触れ合うコトが出来るのは、とても楽しかったし、お客様の好きなコースやお疲れ具合を知れるので、自分が施術する側になったときに、とても参考になった。

それに、お客様にいかにわかりやすく、コースや施術のご案内が出来るかというのも、こうして一人店主となった今では、本当に役に立っている。

 

 先輩から「何でも出来た方がいいよ。その方が絶対に自分のためになる。」と諭されたコトが、今やっと身に染みて感じるのだ。

 

 “楽しめる”というコトは、それだけ自分に余裕が出来た、というコトでもある。

サロン内での業務も一通り把握し、接客も慣れてきた。相変わらず、積極的にコースのご延長のお声掛けもしていたし、受付でも、売上目標達成のために出来る工夫はそれなりにやってみた。そして目標が達成されると、やっぱり嬉しく思った。

そうやって、楽しめるくらいの余裕が出来て、周りを冷静に見るコトが出来るようになった私に、ふと、ある思いが芽生えた。

 

 「なんだか、営業マンみたいだな・・・。」

 

 どれだけご延長を取れたか、ご指名が取れたか、物販を販売出来たかをスタッフ同士で競い合い、目標達成するコトに一喜一憂する。ノルマ等は一切なかったのだけど、スタッフのやる気と向上心をアップさせるために、皆で結果を競い合った。

 

 「なんか・・・、営業マンみたい・・・。」

 

 でも、コレは大手サロンで働く身としては、決して間違いではない。むしろ、正解であると思う。企業が大きければ大きい程、利益を上げていかなければならないから、そのために出来るコトをやっていかなければならない。

だから、会社のやり方がどうとか、そういう問題ではなく、コレは、会社の進むべく方向と私の進んで行きたい方向が異なっている、ただそれだけのコトなのだ。

 

 方向性の違いは、最初から薄々感じてはいた。だから、その会社で上に上がっていこうとは考えていなかった訳だし。余裕が出来たコトで、その違いをはっきりと認識するコトが出来たのである。

 

 方向性の違いはそれだけでなかった。接客スタイルに関しても、異なっていた。

 

 サロンでは、より多くのお客様を無駄なく回転させていくコトを第一に考えた。だから、忙しいときは、どうしても慌しい感じで接客するようになってしまう。もちろん、施術はしっかり行うが、その前後の会話などがゆっくり行えなかった。

そして、オープンスペースのために、施術中のお喋りはタブーとされた。もちろん、お客様のイビキも・・・。お客様のリラックススタイルは、人それぞれである。眠りたい方、お話しされたい方、読書されたい方、思う存分イビキをかきたい方・・・。そういう全てを叶えられるのは、やっぱり、完全個室制でなければ無理だと感じた。隣にお客様がいらっしゃるようなオープンスペースでは、どうしたって制限される。

 

 下北沢店は外階段の2階席だったので、2階席にお客様をご案内すると、時々、お客様と自分の二人だけになるコトもあった。そんなときの、周りを一切気にせず行う、お喋りしながらの施術は、本当に楽しかった。私自身も、のびのびと接客出来た。

 

 「お客様とお喋りしながらでも出来るような空間で、リフレするのが理想だな。」なんて、よく妄想していた。そして、何よりも、もっとゆっくりお客様と向き合いたい、と思った。

でもそれは、今現在働くサロンで叶えるのは、到底無理な話であった。方向性の違い、である。

(過去日記「クローバーが完全個室制の理由」参照)

 

 そして、何よりも異なっていたのは、会社が求めるキャラクターと自分のキャラクターである。

 

 会社からは、よく「優雅に振舞って。」と注文を付けられた。『優雅』ですか・・・。時には、「白鳥のように、優雅に振舞って。」と言われるコトも。どう見たって、わたくし、白鳥と言うよりは、手乗り文鳥ですが!?

Img53_05_11_19_6_1  

 

 エレガント・レディとは対極にいる庶民派の私には、自分とは真逆のキャラクターを求められるコトが、段々、苦痛に感じるようになってきていた。もちろん、文鳥は白鳥になれる訳でもないので、文鳥のままでいたけれども。

 

 何よりも苦痛だったのは、制服である。普段はカジュアル派の私には、客室乗務員をイメージした、白シャツに黒パンツ、そして首にはスカーフというエレガントないでたちが、どうにも苦痛で仕方なかった。そんな格好、今まで一度たりともしたコトないし!

会社の正装は、↑の制服に、黒ジャケット着用であった。大体、私はビックリする程、“黒”が似合わない。私は、普段着ないモノにお金を出したくない!と言う、何とも貧乏性な理由で、黒ジャケットを持っていなかった。なので、着用しなければならないときは、サロンの同期から貸してもらっていた。そして、時々着用する黒ジャケットがビックリするくらい似合わないので、スタッフからよく失笑されていた。それくらい、全然似合わないのである。

 

 特に、自分が大好きな、文化の発信の街であり、オシャレな人たちが集まる下北沢という土地で、エレガント・レディの姿で、自分が似合わない色を身にまとい、一日を過ごすというコトは、私にとっては本当に苦痛以外の何物でもなかった。

今思えば、それが一番のストレスの元凶だったかも。とにかく、制服がイヤでイヤでどうしようもなかった。

もちろん、制服に憧れてサロン勤務したい、という方もいらっしゃる。だから、コレも方向性の違い、大いなる違い、なのである。

 

 方向性の違いを認識し、何となく、自分が進みたい方向が見えてきた頃、コレ以上、サロン勤務を続けていくコトが難しくなってしまうような事態が、私の身に起こるのであった。

 

 →次回へ続く。

 

 ♪本日のBGM・・・ACIDMAN「リピート」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年11月 9日 (木)

一人店主への道(花の下北沢編5)

 2003年春。少しずつではあるが、お客様の客足も戻りつつあった。

私が下北沢に通い始め、4ヶ月が経った。この頃には、下北沢の商店街の方たちとも顔見知りになり、少しずつ言葉も交わすようになった。

 

 お隣の電気屋のお兄さん&お姉さん、(今はなき)向かいの肉屋のお兄さん、駅前食品市場内の魚屋の女将さん、八百屋のご主人、乾物屋のご夫婦、アメリカ屋のおじさん、一人ランチの定番だったパスタ屋のお兄さん、etc・・・。皆さん、気さくに声を掛けて下さった。

 

 電気屋のお兄さん&お姉さんはお隣さんともあって、チラシ配りで外に出るときは、大抵、私のくだらない話に付き合って下さった。まぁ、言ってしまえば、私の息抜きの相手をしてもらっていた。

ココに時々コメントしてくれるAZ a go goくん(通称、ウラ兄ぃ)は、その電気屋さんの元スタッフ。兄さんには、ガラス越しの変顔などでいつも心和ませてもらった。当時の私の心のオアシス、と言っても過言ではない。だって、相当な変顔で、いつも笑わせてもらっていたから。そして、今でもこうしてお付き合いが続いている。

 

 魚屋の女将さんからは、「コレ、お昼にでも食べて!」と塩辛を差し入れして頂いたコトも。突然、開店前のお店に届けに来て下さって、ビックリしたけど、とても嬉しかった。でも・・・、実は、塩辛食べられないんですよ、私・・・。本当に申し訳ないと思いつつ、女将さんの温かい心だけ受け取って、酒好きのスタッフ(リラックスプラスの店主・赤尾さん)に食べてもらった。

 

 時々ランチ時に通っていたパスタ屋のお兄さんは、私が下北を去るとき、ランチのデザートプレートに、デザートソースで特別にプーさんの絵を描いて下さった。「ご苦労様でした」の一言を添えて出して下さった、皆より一回り大きいお皿に描かれたプーさんの絵は、今でも忘れるコトはない。

 

 そして、アメリカ屋のおじさんからは、何故か「社長!」と呼ばれていた。理由は全くわからない。どう見ても、社長の器じゃありませんが??いつも「社長!」と呼び止められ、冗談を言っては笑い合った。私がしばらく顔を見せないと、「寂しかったよ~!」と、ホントかよ!?と突っ込みたくなるような、ウレシイ言葉を掛けて下さった。

 

 何故かこうして、下北沢の商店街の方たちが可愛がって下さった。そして、こんな風に皆さんとお付き合いしているのは、当時、スタッフの中で私だけだった。スタッフからも「いつの間に、仲良くなったの!?」とよく言われていた。いや、ホントにいつの間にか、自然に仲良くさせて頂くようになった訳で・・・。

 

 それは恐らく、私が“丸顔クィーン”、もしくは、“ミス・丸顔”だからでは?と思っている。

 

 私は自他共に認める、丸顔である。友人からも“丸顔クィーン”の称号を与えられているくらいだ。とにかく「丸いね!」な感じなのである。

 

 そして、私はよく街中で道を尋ねられる。先日も新宿駅で、どこそこまで行くための乗り換えの仕方を尋ねられたのだが、私も田舎者のお上りなので答えられず、と言う経験をしたばかり。そういう感じで、「スミマセン」とよく呼び止められる。多分、丸顔故に、声を掛けやすいのではないのだろうか。

だから、逆に言えば、接客業の身としては『得な丸顔』だと思っている。丸顔と言うだけで、あまり悪い印象は与えない。語弊があるかもしれないが、“太っている人に悪い人はいない”と言う、アレと同じじゃないのでは、と。

若い頃は、キョンキョンみたいなシャープなお顔立ちにそれはそれは憧れたけど、今となっては、得な丸顔に産んでくれた両親に大いに感謝している。お父さん、お母さん、ありがとう!!

 

 話がだいぶそれたけど、大好きな街・下北沢の方たちに可愛がって頂きながら、楽しい日々を過ごした。

好きな街(下北沢)で働ける、コレはホントにラッキーなコトだったと思う。店から一歩外に出ると、あのシモキタ独特の街の雰囲気にホッと和まされたし、街行くステキな人たちの姿を目にするだけで、ついつい楽しくなった。

 

 でも、そんな好きな街・下北沢だからこそ・・・。私はこの先、ある思いを抱くようになる。そして、それが後々、私が下北沢を去る原因の一つになるのであった。

 

 →次回へ続く。

 

 

 ~下北沢の今・番外編~

 今、下北沢では、あの独特で味のある街並みが大きく変えられてしまう、都市開発計画とやらが推し進められている。コレは、ニュース等でも取り上げられているので、ご存知の方もたくさんいらっしゃるとは思うのだが。

そして、この都市計画がそのまま推し進められたならば、私が今日書き連ねたお店、自分が勤めていたサロンも取り壊されるコトになる。

どうやら、駅前にロータリーが出来て、高層ビルが出来るそうだ。

シモキタに高層ビル・・・。全くピンと来ない。

あの小さな街にゴチャゴチャとお店が立ち並んでいるのが、シモキタの魅力と言ってもいいと思っている。それが、その都市計画とやらで取り壊されてしまうと言うから、なんだか心中穏やかではない。

その都市計画、本当に必要なんだろうか??下北沢に住む人たちは、本当に望んでいるのだろうか??

少なくとも、自分が勤めていたサロンや関わったお店がなくなるのは、私はとても寂しい。

(まぁ、きっと、サロンは違った形で営業するような気もするのだが。) 

今、私が出来るコトは何だろう。

微力ながら、『Save the 下北沢』の活動に賛同し、署名させて頂いた。

小さな力が一つになり、大きな力となって、そして、下北沢の街並みが守られ続けていくコトを祈りたいと思う。

 

 ♪本日のBGM・・・サニーデイ・サービス「恋人の部屋」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年11月 7日 (火)

一人店主への道(花の下北沢編4)

 2003年冬。下北沢店の売上は伸び悩み、そして、スタッフ数もオープン当初の3分の2程度の人数に減っていた。

 

 その当時、下北沢店では、受付業務を行えるスタッフの絶対数が少なかったため、自然と新しい受付スタッフを育てる流れになった。そして、私にその白羽の矢が立った。

 

 受付スタッフは、“受付”と言うくらいだから、ご来店になったお客様を一番最初に接客するスタッフになる。お客様のご要望に合わせ、コースを誘導し、そして、お会計。お客様に担当する施術スタッフを付け、指示を出し、そこからは施術スタッフにバトンタッチ。簡単に言えばそんな所だろうか。

でも、実際はそれだけではなく、サロン全体がスムーズに回るようにスタッフに的確な指示を出し、時間の無駄がないように予約の管理をし、そして、その日の売上の管理もしなくてはならない。

癒しサロンとは言えども、企業であるから、各店舗ごとに年間通しての売上目標と言うものがある。一日一日の売上の積み重ねが、目標達成へと繋がる。そして、受付スタッフの采配によって、その日の売上が決まると言っても過言ではないのだ。

 

 その受付スタッフに私が抜擢された。まだサロンに入って、2ヶ月くらいの私が!?全然予測していなかった事態に、ただただ驚くばかりであった。

 

 下北沢店では、4、5人の受付スタッフがいて、ローテーションで受付に立っていた。基本的に、受付に立つ日は施術には入らない。もちろん、ご指名が入れば別だけど。

私は施術するコトが好きだ。ただ無条件に好きだ。だから、受付スタッフになると、施術に入れない日が出来ると言うコトは、本当にイヤで仕方なかった。

もちろん、自分がサロン全体を見るような立場になるコトも望んでいなかったし、大体、責任が重過ぎる。売上の管理やスタッフの管理なんて、私に出来っこない。「なんで、私が!?」という思いでいっぱいだった。とにかく、受付スタッフになるメリットが、自分には一つも見当たらなかった。

当時の私は、上の人たちから見てみれば、とてもやる気のある新人スタッフに見られていたし、どうも『落ち着いている』と思われていたようだ。そんなコト、今まで言われたコトがなかったよ!どちらかと言うと、すぐ、アワアワしてますが。そうなんすか、私、落ち着いてるんすか??という心境。

だからと言って、「やりません!」とは言えない自分もいて、周りに「やりたくなーい!」とブーブー文句を言っていた。まぁ、ホント、今となっては、こどもじみているとしか言いようがない・・・。

 

 それでも、イヤでも何でも、やらなきゃいけないような状況になった私は、やるからにはちゃんとやりたいと腹をくくった。

 

 受付スタイルには、その人それぞれの個性がある。5人いれば、5つの異なる個性がある。

何でもそうだと思うのだけど、やはり最初はお手本を参考にしながら、自分のスタイルを作っていく。私は、吉祥寺店から一緒に異動になった、とても慕っていた先輩をお手本とするコトに決めた。

その先輩の受付スタイルは、押し付けがましくなく、とても自然で、嫌味がなかった。見ているコチラもとても気持ちのよい接客だった。

先輩としても尊敬していたし、それだけでなく、何となく、コレは感覚なのだけど、私が好きな人であった。休憩時間が一緒になれば、北沢タウンホールのロビーで一緒にお弁当を食べ、仕事の愚痴だけでなく、いかに自分がモテないかと言う愚痴にもよく付き合ってもらった。そんな私の大好きな先輩は出産のため、3ヶ月後にはサロンを去るコトが決まっていた。だから一緒に働ける間に、出来るだけ多くのコトを吸収したいと思った。

 

 腹はくくってみたものの、やはり「ホントは受付なんてやりたくない。」と心では思っていて、そんな甘ったれたコトを先輩と一緒に受付に立ちながらよく話していた。

そんなとき、先輩はいつも「何でも出来た方がいいよ。その方が、絶対に自分のためになる。それに、受付出来ると手を休められるから、サロンでフルで働くのなら、施術者としても長く勤められると思うよ。」と諭してくれた。そのときは、「あぁ、そうですよね!」なんて納得したように答えていたけれど、でも実際は、「でも、施術に専念したいだモン!」と性懲りもなく、甘ったれたコトを思っていたのだった。

 

 「何でも出来た方がいいよ。」その言葉の重みを知るのは、もっともっと先の話。この頃のケツの青い私には、どうやら、理解するのにはまだまだ早過ぎたみたい。

 →次回へ続く。

 

 ♪本日のBGM・・・シアターブルック「SOUL DIVER」(アルバム「ビラコチャ」より)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年11月 5日 (日)

一人店主への道(花の下北沢編3)

 2002年12月5日。無事に下北沢店のオープン初日を迎えるコトが出来た。

先行予約とオープン割引などの効果もあり、サロンは連日大盛況だった。毎日がバタバタと過ぎていき、とにかく必死に日々を過ごしていた。そして、必死ながらも、充足感でいっぱいに満たされていた。

 

 私は会社側からしてみたら、会社が大好きとする、とてもやる気のある、前向きな新人スタッフだったと思う。比較的早い段階で指名して下さるお客様もついたし、コースの延長も積極的にお声掛けし、延長もどんどん取っていた。

けれども、その会社で上に上り詰めたいとか、成功したいとか、そんな野望はちっとも持っていなかった。

ただ、指名や延長を取ることは、自分が認められたようで、とても嬉しかった。お客様が喜んで下さるコトも嬉しかったけど、それ以上に、自分が嬉しかったのだと思う。

技術に関しては、他人よりも時間が掛かって習得したし、1度目のプロトレでは「全然、出来てない!」と言われ続けてきたから、やっと認めてもらえたという気持ちが強かったのだと思う。

 

 お客様に「気持ちよかったです」とおっしゃって頂く度に、本当に嬉しかったし、あの辛かった日々が報われたようで、毎日が本当に楽しかった。このお仕事に就くコトが出来て、本当にヨカッタ!と心から思った。

 

 今思えば、当時の私には、自分のリフレスタイルというモノがしっかりと定まっていなかったのだと思う。「こんな風にお客様と向き合いたい」と言うような、自分のリフレ道。

ただソコにあるのは、「お客様を癒して差し上げるコトで、自分が癒されたい」という気持ち。そして何よりも、「お客様に“気持ちよい”と思ってもらいたい」という気持ち。

なんだか・・・、とても自分本位。でもその当時の私は、紛れもなく、そう言った気持ちでお客様と向き合っていたのだ。

 

 バタバタと忙しく年末を迎え、そして年が明けた。

年が明けると、オープン記念の割引キャンペーンも終了し、それと共に、お客様の客足が徐々に遠のいて行った。正に、冬の時代の到来。

今でもはっきりと記憶しているが、その年は例年になく寒い冬で、東京でも珍しく、何度か雪が積もった。路面店の客足は、悲しいくらい、天候に左右される。

 

 週末には、たくさんのお客様がご来店になるが、平日の昼間ともなると、なかなか施術に入れないという状況が続いた。年内は、あんなに目が回るほど忙しかったのに・・・。

施術に入れない平日の昼間は、自動的に、寒空の下でのチラシ配り、そしてポスティングの日々となる。施術に入りたいのに入れないと言う状況は、かなりのフラストレーションになった。そして、相変わらず、街行く人々は冷たい・・・。でも、そこで腐っている訳にはいかなかった。

「今はきっと種蒔きの時期で、暖かい春の訪れと共に、たくさんのお客様が必ず足を運んで下さる!」

スタッフみんな、そんな思いだったと思う。

 

 そして、それと同時にほぼ毎日のように、人手の足りない他店へのヘルプ(お手伝い)にも誰かしら向かわされた。

私にとって、ヘルプは精神的に苦痛であった。ヘルプでは優先的に施術に入れるので、たくさんのお客様の足に触れられるというメリットもあるし、勉強にもなる。けれども、異なる環境での施術や接客は、いつも以上に気を遣うし、とにかく疲れた。

毎朝、スタッフと顔を合わせると、「今日は誰が売りに出されるのかなぁ・・・。」とビクビク脅えていた。正に、ドナドナの子牛の気分である。

 

 私にとって、苦痛でしかなかったヘルプだけれど、一度だけ、働きたいサロンのド本命、本郷店へのヘルプに行く機会があった。このときばかりは、自ら「私が行きます!」と張り切って名乗り出た。だって、たった一日とは言え、憧れの本郷店で働ける、またとないチャンスなのだから。

本郷と言う土地は、秀才たちの学び舎・東大があると言うだけでなく、ビジネス街でもある。そのため、平日はたくさんの人々が行き交う街だけれど、週末や祝日ともなると、街行く人の数がまばらになる。平日と週末では、街の顔が全然違うのだ。

 

 私がヘルプに行った日は祝日と言うコトもあり、店内はとても落ち着いていて、ゆったりとした時間が流れていた。施術する側がとても心地よいペースで接客出来るので、お客様もとてもリラックスされている感じ。週末や祝日となると、人が溢れ返る街・下北沢にあるサロンに流れる慌しい空気感とは、全く別モノであった。

そして、スタッフの皆さんがとても気さくで温かかった。私が初めてお客様として来店したときと同じように、温かく迎えて下さった。本郷店に流れる空気は、街自体の特性もあるけれど、それだけではなく、スタッフの方たちの温かさからでもあったのだ。

 

 今まで一度も楽しいと思えるコトがなかったヘルプだけれど、このときばかりは、心から楽しいと思えた。そして、本郷で働きたいと言う気持ちにも拍車が掛かった。

 

 と言っても、本郷のサロンで働くコトは現実には難しく、そしてそれ以上に、その頃には、私自身、下北沢のサロンに愛着が湧いていたのだ。お客様との信頼関係、そしてスタッフとの絆がいつの間にか心地よいモノになっていたのだ。何だかんだ言っても、下北沢店が好きになっていたのだ。

 

 下北沢のサロンに戻ると、相変わらずのチラシ配り、ポスティング、ヘルプ三昧の日々。売上はなかなか上向きにはならない。

そんな中、慕っていた先輩方がサロンを去り、仲の良かった同期の内の何人かが他店へ異動になった。

気が付けば、スタッフ数は、オープン当初の約3分の2程度に減っていた。あの寒空の下、会社から苦言を言われながら、一丸となってチラシ配りを行った仲間たちが一人二人と減っていくのは、とても寂しいコトであった。

 

 そして、私自身の立場も、自分が望んでいないにも関わらず、いつの間にか、サロンを全体的に見るようなポジションに移り変わっていったのであった。

 

 →次回へ続く。

 

 ♪本日のBGM・・・エレファントカシマシ「風に吹かれて」

| | コメント (4) | トラックバック (1)
|

2006年10月 3日 (火)

一人店主への道(花の下北沢編2)

 2002年12月4日、下北沢店2日目。そして、明日がオープン日。

残り一日で、どれだけ先行予約を頂けるか、とにかくやるしかない状況。

お天気は願いも空しく、生憎の空模様。更に追い討ちを掛けるように、午後からは冷たく、激しい雨が・・・。雨の日なんて、皆傘さしているから両手がふさがるので、益々チラシを受け取ってくれない。

神様のイジワル・・・。

 

 神様は味方してくれなかったけど、冷たい雨の中、とにかく必死でチラシを配った。前の日はあまり出せなかった声も、2日目ともなると、だいぶ恥ずかしさも消え、大きく出せるようになってきた。とにかく、ちょっとでも目標に近付けたい、見返してやりたい一心で。

チラシ配りとポスティング、そして企業回りと、皆一丸となって頑張ったけれど、生憎のお天気のせいか、思ったような成果を得られなかった。

「また、会社からいろいろ言われるんだろうなぁ・・・。」なんて思いながら、トボトボ店に戻ると・・・、アレ!?電話がジャンジャン鳴っている!

そう、前日から必死に行ったチラシ配りやポスティングの成果が、今ここで初めて実ったのだ!

 

 残念ながら、目標件数には届かなかったけど、前の日の寂しい予約状況に比べたら、見違えるようなご予約の嵐!!ウレシイじゃないですか!!寒空の下で頑張ったことが、とっても報われたような気分になった。

下北沢店はオープンを前にして、会社側からは悲しいくらい期待されてなかったのだけど、これでちょっとだけ見返してやったような気分になった。

やっぱり、神様は味方してくれたのね☆

 

 そんなこんなで、なんとか沢山のご予約を頂き、晴れて、オープン日を無事に迎えることが出来たのだ。感謝、感謝!

 

 12月5日、下北沢店、オープン初日。

昨日とは打って変わって、お天気良好の小春日和!何とも清々しい朝を迎えた。

 

 で、オープン当日の記憶と言えば・・・。実は、ほとんど何も覚えていない・・・。とにかく、忙しかった!という、ただそれだけ。

下北沢店は商店街に面した路面店で、外階段のある2フロアーのサロン。吉祥寺店は駅ビルの中の1フロアーのサロンだったため、お客様の導線やご案内の仕方、バックヤードの使い方など全く異なった。それは私に限らず、新店に異動してきたスタッフ全員に言えることで、とにかく何が何だか訳がわからずに、お客様をこなしていったと言う感じ。クレームもなく、よく一日が無事に過ぎたなと、今でも思う。

ホントに、その日のコトは、ほとんど覚えていないのだ。

 

 たった一つ、覚えているコトと言えば・・・、リラックス プラスの店主である、同期の赤尾さんが残してくれた武勇伝だけ。

本人の名誉に関わる(?)ので、多くは語らないでおくが、とても素晴らしい(笑える)伝説を残してくれた。担当したお客様に、あんなコトしちゃって・・・!!でも、お客様はとーっても気持ち良さそうに、眠っていらっしゃった♪そして、その後もずっーと、下北のリピーターさんでいて下さった。

気持ちよかったから、結果オーライだけど、赤尾さん、見られた相手が悪かったね!私はこれからも、赤尾伝説を語り継いでいくつもり!その気、マンマン!!

 

 そんな赤尾さんも、今では従業員を抱える、立派な店主である。あのときの伝説があったからこそ!なのか!?果たして・・・。でも、今ではいい思い出。皆で集まれば、必ずその話題で盛り上がる。

下北沢店の立ち上げスタッフは、もう皆、それぞれの道を歩んでいるけど、今現在も、同志なのである。仲間がいるって、やっぱり素晴らしいと、つくづく思う。皆の存在があるから、私は一人でも頑張れる。本当に出会えたコトに感謝!である。

 

 こうして、オープン初日は、赤尾伝説以外は何にも記憶に残ることなく、何とか無事に終わっていった。

 

 オープン当初の私は、とにかく必死に日々を過ごしていた。業務を覚えるコト、お客様をこなすコト。とにかく、必死な日々。

そんな中で、お客様から施術後に掛けて頂ける「気持ちよかったです!」の一言は、本当にありがたく、嬉しかった。その一言があるから、頑張れた。忙しく、必死ながらも、充実した日々だった。

 

 今改めて思うのは、サロンスタッフとして、新店の立ち上げに関われたコトはとてもラッキーだったと思う。この経験は、私が一人店主としてスタートしたときにも、きっと活かされていたはずだと思う。履歴書に「新店の立ち上げに興味あります!」と書いていなかったら、と言うより、友人からの入れ知恵がなければ、経験するコトは出来なかった。

改めて、友人に感謝である。

 

 それと、これはあくまでも、私個人の考えなのだけど、個人で開業する場合、その時期をいつにするかは結構重要。冬の時期は、避けた方がベスト。この業界は、夏場が稼ぎ時で、冬場は客足が遠のくと言われている。私の考えるベストシーズンは、4~5月にかけての春。開業して、少し落ち着いてきた頃に忙しい夏を迎え、ある程度、固定のリピーターさんが付いた頃に、厳しい冬を迎えるのがベストじゃないかと。

 

 そして後に、下北沢店も厳しい冬の時代を迎えるコトになる。

やっぱり、寒い冬の時期のオープンは厳しかったっす!

そんな寒くて、厳しい下北沢で過ごす日々の中で、私の思いがいろいろと変化していく。私のリフレ道の基盤となるような変化、である・・・。

 

 →次回へつづく。

 

 ♪本日のBGM・・・荒井由実「12月の雨」

| | コメント (6) | トラックバック (1)
|

2006年10月 2日 (月)

一人店主への道(花の下北沢編1)

 2002年12月3日。吉祥寺での3日間の勤務を経て、下北沢店初日の朝を迎えた。

せっかく少し慣れた吉祥寺店から、新店の下北沢店に異動となったため、また緊張感いっぱいの新たなスタートとなった。

と言っても、今回は、吉祥寺で一緒に働いていた先輩スタッフ2人と共に異動になったり、何と言っても、私を含めた同期7人も一緒に異動になったのだ。宍戸開似のおじさん(一人店主への道~花の吉祥寺編~参照)も心強かったけど、今回はそれ以上にもっと心強い!!ちょっとした同窓会気分~♪(なんて思っていられるのも、最初の内だけだったのだけど・・・。)

 

 初めてのスタッフ同士の顔合わせでは、全員が揃っていた訳ではないけれど、半数近くは知った顔ぶれ。おぉ、友よ!先輩よ!なんて心強いんだ~!!

このメンバーで下北沢店のスタートを迎えた。

 

 正式なオープン日は12月5日。それまでは、オープンまでの準備期間として、備品の準備や先行予約ゲットのためのチラシ配り・ポスティングが主な業務となる。と言うことは、2日間は、お客様の足に一切触れることは出来ない。不安・・・。たった3日間だけ、お客様の足に触れただけなのに、2日も空いてしまうなんて・・・。まぁ、でも、しょうがない。とにかく今は、たくさんのお客様にご予約して頂けるよう、頑張らなくてはいけないのだ。

 

 先行予約に関しては、このサロンではこれだけと言う目標件数がある。オープン前に、いかに多くのご予約を頂けるかどうかは、その後のサロンの鍵となる。多くの方にご来店頂き、そこで気に入って下されば、今度は引き続き、リピーターとして通って頂けるからだ。だから、何としても目標は達成したい所である。と言うか、しなくてはならないと会社からもプレッシャーを掛けられていた。

そんな中で、新人が7人もいたことは結構きつかったんじゃないかと、今になってみると身に染みて思う。まとめる上の人たちは本当に大変だったろうと、今更ながら思う。3日くらいしかサロン勤務の経験がない人たちが、やっぱりそんなに動ける訳はない。そのときは必死で言われたことをこなしていたのだと思うけど、それ以上のことは出来なかっただろうから。

 

 街頭でのチラシ配りも、最初の内はどうしても恥ずかしさが抜け切れず、街行く人たちに大きな声で呼び掛けることがなかなか出来ずに、足を止めてもらえる所か、チラシを受け取ってもらうことすら難しかった。

そうでなくても、冬のチラシ配りはなかなか厳しいものがある。寒さのせいか、皆、脇目もふらず、目的に向かって黙々と歩いて行くし、夕方になると、そそくさと家路を急ぐ。コートのポケットに突っ込んだ手をなかなか出してはくれない。寒い季節は、暖かい季節に比べて、チラシを受け取ってくれる確率がグッと減るのだ。

 

 そして、寒くて、長い一日が終わった。

初日は、目標の半分にも満たないような予約しか頂けなかった。そして、この件に関して、会社側からかなり厳しいことを言われた。とても切なくなるような、それでいて、悔しくなるような・・・。

帰りのミーティングでは、あんなに、リフレって楽しい!と思った自分は、何処かに行ってしまっていた。

でも、その会社側からの苦言により、見返してやりたい!と言う気持ちが芽生えた。それは私だけでなく、恐らく、スタッフ全員に。じゃあ、予約取ってやろうじゃないの!的な。

 

 残り一日の猶予で、どれだけの予約を頂けるかはわからないけど、とにかく、やるしかないのだ。後はとにかく、明日の空模様を祈るばかり。どうか神様、明日は晴れますように・・・☆ 

 

 ここからは、ちょっと余談。

自ら経験してみて、初めてわかること・気付くことがあると思う。

チラシ配りもその一つ。皆、結構、冷たいのね・・・。

今までは、ティッシュ配りやチラシ配りの方の呼び掛けに、知らんぷりしてしまうことも多々あった。でも、自分が経験してみて、受け取ってもらえない、あの何とも言えない切な~い感覚を味わって、初めて配る側の立場の大変さを知った。何よりも、知らんぷりされるのが一番キツイ。自分がまるでそこに存在していないかのように、目もくれずに、足早に通り過ぎて行く。うぅ、切ない・・・。

「そうかぁ、知らんぷりって、こんなに切ない気分なのね。」な瞬間である。

それから私は、チラシやティッシュをなるべく受け取るような習慣が付いてしまっている。もちろん、受け取れないときもあるので、そのときは「ゴメンなさい!」するけど。知らんぷりはせず、とりあえず、「ゴメンなさい!」する。

 

 確かに、受け取ったことにより、更に面倒臭い状況になってしまうこともある。しつこくされるのは、私も好きではない。と言うか、誰でもイヤに決まってる。でも、そのときは、「ゴメンなさい!」の一言さえ言えれば、面倒臭い状況は大抵回避される。まぁ、時には、それでもしつこくされるときもあるけれど・・・。

だから、逆に自分が配る側の立場のときは、しつこい感じにならないように気を付けた。

 

 そんな訳で、チラシ配りはあまり好きじゃない、と言うスタッフは結構いた。でも、私は何気に嫌いじゃなかった。

チラシを配って、お客様をゲットしたときの喜び・達成感からというような、決して仕事熱心な理由からではなく、外の空気を吸って気分転換出来るからと、人間観察出来るからという、残念ながら仕事とは全く無関係な理由から。

人間観察は、私の趣味の一つ♪

街行く人たちの表情や雰囲気を観察しながら行うチラシ配りは、とっても楽しい!老若男女問わず、自分が「素敵だなぁ~☆」と思った方がチラシを受け取って下さり、そのままご来店して下さったときは、それはそれで、とってもウレシイ瞬間!

 

 それから、ポスティングも率先して行っていた。これも、街並みや建物を見て回るのが好きだから故に。

そのときの私の気分は、すっかり渡辺篤史氏である。一人お宅訪問ごっこである。もちろん、渡辺篤史氏になりきって(つまり、モノマネ)、である。

「こんなステキなお家の住人は、どんな方なのかなぁ~?」と妄想を膨らませながらのポスティングは、とっても楽しい!ステキなお家のステキな住人の方が、ご来店して下さったら、これまたステキ☆と思いを馳せて、ポストにコトンと投函するのは、とっても楽しい瞬間!

やっぱり、楽しみながら、仕事しなくっちゃね!

Watanabe   

 

 と言う訳で、若かりし頃の渡辺篤史氏の画像で楽しんで頂きながら・・・、次回へつづく。

 

 ♪本日のBGM・・・ハナレグミ「きのみ」(アルバム「日々のあわ」より)

| | コメント (7) | トラックバック (0)
|